手足の動く限り [徒然日記]
直会と和賀心 [徒然日記]
教師 [徒然日記]
四代教会長式年祭に [徒然日記]
イチイの信心? [徒然日記]
あの時逃げ出していたなら [徒然日記]
3月1日、若いときからご信心を進めておられた金谷藤枝さん(95歳)がご帰幽になりました。通常、お葬儀の準備を進める中で、ご遺族から色々と故人のことを聞いて、そのご一生を讃える祭詞を書き上げます。この度もご遺族に色々とお話しを聞こうとしたところ、ご子息夫妻がお参りになって、金庫からこの様なものが出てきましたと一通のお手紙を出されました。それは、私へ宛てた手紙でした。
裏面には16年前の日付と藤枝さんのお名前が、しっかりと整った字でしたためられていました。その場で中をさっと確認すると、ご自分の一生を振り返ってのことが書かれていて、最後に「私の今日までの事を書きました。菊川先生、よろしくお願ひします。」と結ばれていたんです。
私はこのお手紙を手に取りながら、心の底から感動しました。私がこの網走教会を後継したのがちょうど20年前、教会長にお取り立て頂いたのが19年前です。ですので、藤枝さんがこのお手紙をしたためられたのは、私が教会長にお取り立ていただき、まだ三年目のことになります。遠く熊本から来た若干30歳の教師、教会長としてちゃんとやっていくのかと値踏みをされていても不思議ではない頃のことです。藤枝さんはご自分の最後の時を思い、葬儀の事を人生最後の祭典を私に託し、手紙をしたため金庫にしまっておられたんです。こんなに有り難くもったいないことはありません。身が震えるほどの感動を覚えました。
また、3月19日には、信奉者子弟のK君が、金光教で結婚式を挙げてくれました。私としては初めての結婚式祭主。天地の親神様に誓いを述べる新夫婦の姿は大変尊いものでした。披露宴においても祝辞を頼まれ、これも初めてのこと。思えばこの数ヶ月、ずっと緊張していたようなことでした。
その祝辞のなかで、Kくんがとても辛い時に御取次を願い出て、その事柄を乗り越えてくれたことに少し触れました。すると、聞いていたK君もその時の事を改めて思い出し、涙が出そうになったと言ってくれました。そして何よりも有り難かったのは、後日、二人揃ってのお礼参拝の時に、再度、当時の話となり、「あの時の先生の言葉が、今でも自分の支えとなって、辛い時には思い出して乗り切ってます」と言ってくれたことです。
それは御結界の持つ働きといいましょうか、神様が私の口を通してK君にみ教え下さったことで、決して私の言葉ということではないのですが、教師としてこんなに嬉しいことはありませんでした。
さらにもう一つ、それはある日の御取次でのことです。いつもよくお参りになる方で、その日もお参りになって、御結界に進まれ、御取次を願われました。色々とご家族のことから、体調のことなどお届けなさって、私もそれらについて色々とお話しさせていただきました。するとその方が最後に、「やっぱり前にも言いましたけど、先生が先生で良かったとつくづく思います。他の先生であればこの様に話ができたかわかりません」と仰ったんです。
いやいや、他の先生であれば、もっといい御取次をなさるかもしれませんし、そんなたいそうな私ではないとは思いつつも、ご信者さんからその様に言ってもらえるなんて、本当に教師冥利に尽きることだと思い、これまた大変嬉しくてなりませんでした。今度はご信者さんの口を通して、神様からの励ましの言葉を頂戴したようなことです。
こうして、3つの有り難いことがあったなかで、心底思わされるのは、7年前の離婚で、この網走を捨てて逃げ出さずに良かったということです。教師としての自信も、男としての自信も、また親としての自信も、すべてを失った気持ちになってしまい、生きることさえも、もう無理だと思うことが幾度となくありました。
もし、この時に逃げ出して江田教会に帰っていたらと思うとゾッとします。藤枝さんの手紙はどうなっていたでしょう、K君は、先生は自分にあんな風に言っておきながら逃げ出すのか!となり、先生が先生で良かったと言ってくれるご信者さんもなかったでしょう。そして今頃は、江田教会の甥っ子に、厄介おじじ、厄介おじじと言われながらの肩身の狭い暮らしをしていたかもしれません。
そのことを思う時に、本当に、あの時逃げ出さずに、時には涙を流し、時には歯を食いしばりながらでも、神様への教師としての誓い、金光様からのご任命を信じ、すがりつき離れずに今日を迎えられて本当に良かったと、心から安堵の胸をなで下ろすのでした。
いつわりなきもの [徒然日記]
疑うならば何がまことぞ」
おかげを頂いて、今年も信徒会総会、引き続いての新年会が開かれました。私が当教会を後継して今年で二十年となりますが、その当時と今と、この新年会への参拝の数は大差なくおかげを頂いて来ております。亡くなった方や遠くに越して行かれた方などもいらっしゃいますが、その分新たに参加なさる方や入会なさる方があってのことで大変有り難いことに存じます。そうした新たな人や若い人方へ、天地の親神様を信心することの有り難さがしっかりと伝わり行くことを願って止みません。
さて、冒頭に掲げたお歌です。新年会恒例の今年のみ教えくじで私が頂いたものです。これは大阪教会の初代白神新一郎先生のお歌で、白神先生は教祖様の元で信心を学び、教義を会得なさった方で本教ではそうした教祖様の直弟子の方々を直信(じきしん)とお呼びし、敬っております。
その白神先生が、教祖様の元で学び得た教えをとりまとめ「御道案内」として人々へ配布なさって御布教に当たられたということです。本教における最初の教義書ともいわれています。
その「御道案内」のなかで唯二つある歌の内の一つ、歌にするほどの先生の強い思いが感じられます。
この教えは、単に神様を疑わず信じなさいというだけではありません。その事が分かる一節が「御道案内」の冒頭部分に次の様にあります。
「一つ、大御本社(御本部=教祖様のこと)は正直をもととする神のお道にして・・・信心なる人は、その身はもちろん、先祖をはじめ子々孫々の幸福、徳なるべし。また、せっかく聞きても疑い、なお空吹く風のように聞き流しにする人においては、是非もなき次第なり。」
「せっかく聞きても疑い」とは、教祖様のご理解(=天地の道理、教え)を聞いても疑って信用しないということです。
教祖様は因習(日柄方角や世間体、当時の常識など)に囚われ返って難儀な目に陥ってしまう人々には天地の道理に合う生き方を説かれ、男尊女卑や士農工商穢多非人といった身分差別が当たり前の時代にあって、「人はみな神の氏子」と説かれ、人としての尊厳を人々に取り戻し、救いの世界へと導かれました。
しかしながら、因習と道理の落差を越えて信じる人とすっかり怯えて踏み込めず因習に戻る人や常識家で全く聞く耳のない人、それどころか嘲笑さえする人など様々にあったということです。そしてそれは現代においても言えることで、例え信心をしていても(教師でも信者でも)、ここぞという時には教祖様の御理解を信じ切れず信仰をかなぐり捨て、権利や主義主張に囚われ、さらに難儀な道へと踏み込んでしまうということも見聞きします。
今年、冒頭のみ教えを頂いた私としても、世間一般の常識とわが道の教えとの狭間で揺らぐことなく、神様のおかげ(恵み、慈しみ、働き)へとつづく道を踏み外さずに、信じ貫く信心を求めて参りたいと存じます。
「信」 [徒然日記]
平成二十九年、網走教会布教九十四年という年をお迎えし、記念祭前年というこの年に、教会、信徒会、個人それぞれのところで記念祭をお迎えするための願いを立て、より一層の信心の展開を求めてまいりたいと存じます。
さて、昨年の忘年会前日のことですが、今回もおそらく「自分にとっての今年の漢字」発表があるかもしれないと、私も妻もそれぞれに平成二十八年という年がどんな年であったかを振り返ってみたことがありました。結局、今回の忘年会ではこの企画は無かったのですが、共に「おかげの自覚」が出来たことを喜びました。
「おかげの自覚」とは
「天地の親神様のお恵みお働きみ慈しみのおかげをもって、日々の命、生活、仕事等、人間の一切の営みが成されるということ、また一人一人に神様の願いが掛けられていることを心の底から感じるということで、近年教団において特に取り組まれている信仰の営みです。」
それぞれにしばらく考えて、お互いに発表してみました。するとどうでしょう、なんと二人とも「信」という文字だったのです。互いに「信」という文字にたどり着いた事柄は違うのですが、目を見合わせて驚き、喜ばせて頂きました。
妻の場合は、昨年二月、千葉のお父さんのとても重い病気、そして大手術という大変な事態の中に、毎日必死に神様にお祈りをし、今日までの様々な神様のお計らい(病気発覚のきっかけから病院の先生との出会いなど)に気付く事が出来、そうした大きな働きの中でのことならこの度の手術、必ずおかげが頂けると信じてさらに祈り続け、結果お父さんの手術も無事に終わり、看病をするお母さんも倒れること無く乗り越えるおかげを頂いた事などが思い返され、神様を信じることの大切さを心から思ったと言います。
私の場合は、ご信者さんがお参りになって御取次を頂かれる(願い事や今抱えている問題などを取次者である先生に神様へ取り次いでもらうこと)事柄は、必ずやおかげとなるという取次者としての自信というべきか、神様への絶対的な信念を持ち得たことです。教師になりたての頃から今日まで私の御用内容を振り返ったときに、まだまだ未熟な私の御取次でも神様が必ずおかげを下さっていることは、とても勿体なくて有り難くてなりません。御結界という取次の場が持つ力、御結界に座る者は三歳の童子といえども金光様のお手代わりというその力、その力がこの網走の御結界にも厳然としてあることを昨年一年を通して、改めて実感させてもらい、そうした意味での絶対的なる「信」という事でした。
次年度に記念祭を控えたこの年、私も妻も昨年得たこの「信」を元にさらなる御用にお使い頂けるよう願いをあらたに新年をお迎えしています。
お世話になっての今 [徒然日記]
(9月27日発行「ななかまど」より)
近畿日本鉄道の小阪駅で発生した人身事故。その影響による電車の遅延。対応に追われていた車掌さんを、多数の乗客が囲み詰め寄りクレームをつける。そのうち車掌さんは激高してしまい、奇行に走り高架から飛び降りてしまったという。
様々な報道、ニュースや新聞、インターネット(ツイッター)でも話題となっているようで賛否両論の意見が出されたり、この車掌さんに寛大な処分をお願いする署名活動が行われたりなど、大変な話題となっています。
それにしても、この時ほとんどの駅員さんが乗客に囲まれ罵声を浴びせられたり、無理難題を言われたりと大変だったようです。「はよ再開させろや」、「タクシー代出してくれ」、「声ちっちゃいわボケ」などなど・・・。
渦中の車掌さんや駅員さんが、「もういい加減にしてくれ」と嘆きたくなるのも分かる気がします。そもそも、電車の人身事故ですから、ある意味不可抗力で、車掌さんや駅員さんの責任ではないのですから。どちらかと言えば鉄道会社も被害者の立場です。同じ被害者同士なのですから、もう少し労り合う心があっても良さそうなものです。なのに乗客から詰め寄られては頭を下げ、本当に大変だなとも思い、かわいそうにも思えます。
当初、現場に居た若者がインターネット(ツイッター)に投稿していた一言に目が止まりました。
「皆お察しの通り、40~50代の人が取り囲んで」罵声を浴びせているというのです。皆お察しの通り・・・、この一言です。 都会ではしょっちゅうこうした光景(駅員を怒鳴るなどのクレーム行為)があるのでしょう、そしてその人方の年代が40~50代で、もう見慣れた光景に若者があきれているということです。
本来なら、大人と言われる年代で、若い人方にとってのお手本であって欲しいと思うのですが・・・。ただ、一方で年代的に社会的に一番ストレスを抱えた世代とも言え、日頃の鬱憤がそうしたときに出てくるのかも知れませんね。
四年前のことになりますが、函館四代教会長の矢代幸彦親先生のお葬儀には、何が何でも参拝御用をさせて頂きたくて、豪雪予報の中を特急で函館に向かったことがあります。網走を六時半に出た列車は、その四時間後、札幌まで後一時間半というところで止まってしまいます。
車内アナウンスでは一時間おきに、除雪状況と運転再開見込み時間が放送されますが、動き出したのはとうとう日付も変わった午前2時。計16時間の旭川駅での足止めとなったわけです。
JRでは網走に帰る折り返しの列車やバスを用意してくれて、何度も函館行きを断念しかけたのですが、恩ある親先生、特に私が独り身となってからの親先生のお心遣いにどれほど救われたかしれません、その親先生のお葬儀ですからなんとしても行きたいとの思いが勝り、運転再開を待ち続けたのでした。
列車からホームや駅構内には自由に出入りできたのが救いでしたが、食事を取るために構内を歩いていると、サラリーマン風の立派な格好をした人が、駅員さんをつかまえて激しく怒っているところに出くわしました。この場合も自然現象による豪雪被害で、駅員さんに責任があるわけではないのに、駅員さんは丁寧に頭を下げて理解を求めておられました。見ていたこちらが頭が下がる思いです。何もそこまで駅員さんに当たらなくても、と胸が痛みます。
日頃からお世話になっている乗り物、駅員さん、特に都会では毎日多くの人が利用しているわけですが、その日頃のお世話になっているという感覚が、そういう人方には欠如してしまっているのでしょうか。しかもそれが私と同年代の方が多いというのはとても残念なことです。
私たち信心する者は、特にこうした事に気をつけるべきだと思います。教祖様のご信心を学んで、少しでも「謙虚さ」を身につけ、「お世話になっての今」であるという自覚を深めたいものと思います。
10月23日には、当教会の生神金光大神大祭をお迎えします。教話講師は江田教会の兄にお願いしました。共々に参拝や御用のおかげを頂き、信心を一歩でも二歩でも進めさせて頂きたいと願います。
かが泣き [徒然日記]
どこが似ているか。主人公は剣の達人です。ということは何かに秀でるという意味において似ているのか。いやいや、私もそこまで厚かましくありません。似ているのは「かが泣く」のところです。
剣の達人、小太刀の名手でありながら、「かが泣き」という武士としては少々情けない姿に共感を得ます。主人公はそのために折角の腕も発揮できず、藩内でも軽んじられ、出世もできない。が、ひとたび小太刀を使わせれば右に出るものはなく、知る人ぞ知る(ほとんど知られていない)達人。上役にいいように使われてただ働きを演じてしまうなど、コミカルでありながら哀愁を感じる小説となっています。
さてさて、ではこの「かが泣く」とはいったいどういったことでしょう。藤沢周平氏の小説の多くは、故郷でもある庄内地方がその舞台となっています。「かが泣く」とは氏の故郷である山形の古い方言で、今ではほとんど使われていないと聞いたことがあります。意味するところは「愚痴をこぼす」「臆病になる、弱気になる」「くよくよする」「大げさにふるまう」といったところです。
武士に対するイメージには質実剛健というものがあると思うのですが、主人公がいくら剣の達人でも「かが泣く」ばかりに同僚にも軽んじられ、妻に至っては白い目で見られる半平。それ故にか「かが泣き」を真に受けて優しくしてくれる女人にほだされてしまうなど、なんとも質実剛健とはほど遠い主人公に、私は等身大の自分を重ねて共感してしまいます。あるいは現代を写す鏡だったりするかもしれませんね。バリバリ働く社長さんが、家庭では実は「かが泣き」であったり、筋骨隆々のスポーツマンが実はそうであったりと色々あるかもしれません。
人間はいろんな面を持ち合わせています。表面に出るものだけがすべてではないことは誰もが知るところです。しかし、人を判断するときは大概は表面だけとなってしまいます。昨今もそういうことで世間を賑わせた事例がありますね。実は「せこい」人であったという、あの事ですが・・・、しかしそれさえ表面の一部分かもしれません。
私も、実を申せば、この「かが泣き」なんです。大祭の講師や研修会での提言のご用、そしてお葬儀などは特に、参拝になるのが金光教を知らない方ばかりなのでそこでの失敗は許されません、緊張はマックスとなります。また、最近では町内会副会長というお役をいただき、ご高齢の会長に代わり葬儀委員長をつとめるということが起こってきました。ご信者さんのお葬儀を仕えるのと同じくらいの緊張が全身を包みます。
あまり信じてもらえませんが、もともと気が弱く、小心者で、それほど学もない私は、人前に出ての挨拶などとても務まるものではありません。そうでありながら目立ちたがり屋という面があって、まったくもって始末に負えません(苦笑)。
そうした「かが泣き」の私でも、ただただ「これも神様がせいとおっしゃるなら」「神様がしなさいとおっしゃるなら」とある意味開き直っての勇気をいただくことで、かつかつながらご用にお使い頂いているようなことです。まさに神様の支えなくしては成し得ないと感じるところです。ただし、この「かが泣き」を家庭で出し過ぎると主人公のように白い目で見られるということにもなりかねません。今のところ「誰しもあることよ」と言ってくれる妻ですが・・・(汗)。もっと信心を進めて、神様を心の中心にいただき、「かが泣き」が表に出ないようおかげを蒙らねばと思わされます。
今年も半歳が過ぎようとしています。お結界での御取次のご用から、町内会の葬儀委員長のご用にいたるまで、すべてにこのようなことでおかげを蒙って参ったなぁとしみじみと感じ、神様、金光様に御礼を申し上げているところです。