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イチイの信心? [徒然日記]

(UPが遅くなってしまいました。これは4月の末に書いたものです)


 5月の声が聞こえ、ようやく境内の桜や杏の芽が膨らんできました。毎年5月の中旬には花盛りを迎えます。北国は梅も桜も一時に咲き、ともすると桜の方が梅や杏の花よりも長く咲いているときがあります。

 

教祖様の御理解に

「尾道から14、5人参り、非常においさみがあった時、

『派手な信心をされるなあ。おいさみのないように願うがよい。桜の花の信心よりは、梅の花の信心をせよ。桜の花は早く散る。梅の花は苦労しているから長く散らない』

と仰せられた」


※「おいさみ」とは神がかりとなって体を激しく動かしたり、叫んだりすること」


 とあります。


 ただ、ここ北海道においては、いつも桜の花の方が先に咲き、しかも長く咲いています。そうした時にこの御理解の桜の花の例えが北海道に合わないものですから、さっと聞いただけでは、その例えにとらわれ、この御理解は北海道では通じないとなりがちで、そうしたことを言う方もいらっしゃいます。


 教祖様はたとえ話が多く、そしてお上手です。ですが、注意も必要です。例え話までも普遍化してしまうから、北海道には合わないとなってしまうのです。例え話はあくまでも例え話としなければならないと思います。


 私は、もしも教祖様がここ北海道でお道を開かれていたならば、この例えも変わっていただろうなぁと思います。たとえば「イチイの木はゆっくり成長するから、堅く燃えにくく腐れにくい、白樺は早く成長するから、まったくその反対である。白樺よりもイチイの木の信心をせよ」など、いかがでしょう。我ながらちょっと上手いなと思うのですが(笑。


 しかしなから、大事なのは事例ではなく、根底に流れる教祖様のご神意です。そのご神意が分かれば、この御理解の頂き方も変わってまいります。


 教祖様はそうした派手な信仰のあり方をやめなさいと仰ったんです。祈念祈祷や神がかりなどでは本当の救いは得られない、願い主自身が御取次を頂きながら神様の御心を尋ね尋ね、生活の全面に信心を現すという改まった生き方こそが、本当の信心であり、本当の救いの道へと誘ってくれるということを仰りたかったのです。


 この春、全教の教会において天地金乃神大祭が仕えられます。当教会においても5月21日に仕えられ、滝上においては4月30日です。教祖様が貫かれ、求め続けられたそのご神意を、私共信奉者もまた、誤ることなく着実に受け現す事こそが天地金乃神大祭をお迎えする大きな意義の一つかと存じます。御大祭をお迎えするに当たり、そのようなことで共々に真心をもって麗しくご奉仕致したいと願うところでございます。

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