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直会と和賀心 [徒然日記]

 先日久しぶりに、網走から車で約一時間半ほどの阿寒湖温泉に行ってきました。湯につかる前にと洗い場で体を洗っていると、私のちょっと後ろの方から口論をしている声が聞こえてきます。子供がおじいちゃんをなじっている様子です。子供は小学校の四~五年生といったところでしょうか。きっと夏休みでおじいちゃんのところに遊びに来ているのでしょう。
 
 「どうしておじいちゃんは知らなかったの?何でなの?」
 
繰り返し詰め寄られておじいちゃんも困り顔です。
 
 その温泉ホテルは、屋上に温水プールがあることで有名です。そのことを知らずに来ていたのでしょうか。水着も何も持っていなくて入れないと思ったのかもしれません。水着は湯浴み用のものが置いてあって貸し出してくれているのですが、そのことに気づいていなかったのかも知れません。あるいは子供のことだから、プールがあるなら浮き輪など持って来たのにと思ったのかもしれませんね。想像は膨らみます。
 
 私が子供のなじる声にとっさに振り向くと、困り顔のおじいちゃんがちょうど謝るところでした「ごめんね、すまないねぇ」と。するとその子供は一瞬言葉を飲んだあとなぜかニコニコっと笑顔になって、
 
 「僕も知らなかったし、僕もごめんなさい」
 
 と、おじいちゃんと目を合わせ、今度は笑い合っていました。
 
 今、思うとその子供の笑顔には、なんだかばつが悪そうな感じもあったように思います。自分が無理を言っていることを分かっているようでした。
 
 私は、背中越しに聞こえる二人の笑い声に、とても心温まりました。ごねる孫に怒ることなく謝るおじいちゃんもすごいけど、それに応えて謝る子供の方にもとても感心します。
 
  私がその子だったら、一度ごねだしたら機嫌を直すのに、なかなかの時間がかかってしまうのに(苦笑)。あるいは私がそのおじいちゃんだったら、短気な私は怒りだしていたことでしょう。いや、曲がりなりにも教師、教会長、これでも少しは信心も進んでいることでしょうから、そんなことはないはずと思いつつ(汗汗)。
 
 御大祭など祭典の後に行われる食事会のことを御直会(おのうらい)と言います。この御直会は神様のお下がりをみんなで分けて頂くという意味とともに、お互いに直り合うという意味があることをある先生に教えてもらったことがあります。
 
  「直り合う」
 
 言葉としての響きもよく、ずっと心に残っていました。温泉でのおじいちゃんとお孫さんのやり取りは、まさに「直り合い」です。
 
 天地書附に、「おかげは和賀心にあり」とありますが、神様のおかげは自分の心しだいという意味の「わが心」と「和らぎ喜ぶ心」という二つの意味があります。この和らぎ喜ぶ心に「直り合う心」が入っていることに気づかされました。
 
 おじいちゃんとお孫さんのわが心が直り合い和らぎ、喜びになって、おかげの世界が生まれ、なんと近くにいた私までも心和らぎ、温泉から上がってすぐにこのことを伝えた妻もまた、こうして周囲の者までも心和らぎ、おかげの世界が広がっていきます。
 
 直り合い和らぎ喜ぶことはただにその本人だけに止まらず、自分の周囲にもおかげの世界が広がっていくんだということを改めて実感したようなことでした。

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